合わない先生たち、そして精神科
私がこれまでに通った精神科は、3ヶ所。
今通っているところを除いてね。
それだけ通っていれば、なにかしら診断が出されていたりするはず…なのだけれど、私は診断を出されたことはない。
自立支援の手続きをする為に書類を書いて貰ったことがあるけれど、その時はうつって事にしておくね〜みたいな軽い感じだった。
うーーーーーーん…
始めて精神科に行ったのは高校生の頃。
ODデビューにリスカデビュー。
そして向精神薬デビューだ。
その時、私の事を好きだと言ってた男の子に行ったほうがいいと言われて行ったのが始まり。
後にその男の子は、DV野郎に大変身する。その話は今度詳しく話すね。
そして、そこの病院はすぐに行くのを辞めてしまった。
DV野郎と色々あって、だ。
病院は良いか悪いかでいったら悪いかなぁ…という感じ。
先生も話を聞いてくれているのかいないのか微妙。病院の後は毎回イライラしてた。
次に病院に行き始めたのは大学2年生の頃。
前にコンサータの事を書いた時に少し触れてるけど、本当にボロッボロでどこか良い精神科を探してたんだ。
待合室がイイ感じ。駅からも近い。しかし家からはバカ遠い。とっても。
一人目の先生は話しやすい感じの先生で、書類もササっと用意してくれてとても良かった。
良かった、と思ったんだけど…
何回か通院して話していると、私が話すことよりも先生が話すことの方が増えていった。
息子が大学をサボっててめちゃくちゃ英語ができない話。奥さんが小さくて可愛い、だとか。この間大きな魚を釣ったとか、前にいた病院は医院長がずっと酒を飲んでいて最悪だったとか、などなど。
私、何してんだろってなった。ここはスナックか??
元々水商売をしていて、その時と同じノリで仕事モードになってる自分に、ん?と。おかしくない??
極めつけは、合ってないと訴えている薬を増やされたこと。
大丈夫大丈夫。って。
炭酸リチウムとペロスピロン塩酸塩を飲んでいて、どっちが合ってないかはわからなかったけど、たぶんペロスピロン塩酸塩のほう。
増やされて血圧下がって倒れて、この先生のままだと死ぬかもしれない!と思って病院は気に入っているので先生をチェンジ。
チェンジ。
二人目の先生は、ずいぶんとサッパリしていてテキトーな先生だった。
コンサータをください、といえば簡単に出してくれた。
何回か通って、先生が
「ここまで来るの大変でしょ、水曜日に担当している病院あるけど、そこにする?そっちだとコンサータ出せないから出せる先生紹介するね」
と。正直バカ遠くて通えたもんじゃなかったから、少しでも通いやすくなるなら…と思って紹介状を書いてもらった。
そして、3カ所めの病院。
家からは地図でみれば、まあ近い。が、駅から遠い。
家から自転車で15分から20分。しかし、変な坂道、通りずらい道。
交通の便が最悪すぎる…!
予約をして、病院に行ってみた。
待合室はじいさん、ばあさんであふれかえり、予約をしているのに1時間以上待たされた。そして、バカデカい声で名前を呼ばれる…
心の余裕がないと無理だ…半分パニックに。
診察室に通されて、先生は淡々と今までの事等を聞いてくる。
過去の事などあんまりいい記憶ではないので、半分パニックになっていた私はほとんどキレながら話してた。
でもその時は、コンサータがないとやっていけないと思っていたからなんとか頑張った。
先生の最初の印象は、なーーんか愛想が無くて最初からデリケートな過去の話をずかずか聞いてくるな、というかんじ。
何回か通院していくと、まあまあ打ち解けてきて、意外と親身だしいいかも?と思い始めてきたが…
ある時、元々うちの両親は仲がよくないが母親と父親が喧嘩をして母親が出ていくという事件が発生。今までのこともあって限界だった私は、先生に色々話した。
すると先生は「いわゆる毒親ですね。早く家を出られるようにしましょう」と、家を出る為の色々な支援があることを教えてくれた…が、私の中ではお母さんのことを悪く言ってしまった罪悪感が膨れあっがっていた。
そして、極めつけは‘’死にたいと思うことがある‘’という話をしたときだった。
先生は「リストカットしたいと思った時に、パラパラを踊るって言ってた子がいたよ。パラパラとか踊ったりしてみるといい」と…
体を動かして気を紛らわせよう、みたいな感じなんだろうけど、私にはバカにされているとしか思えず…私は自分が気持ち悪くて最悪だから早く死んでくれ、みたいに思っているのに…
それに加えて、その頃ぐらいから布団から出ることができなくないりつつあり、お風呂も4日に1回みたな生活で家から出られなくなり通うのをやめてしまった。
そーーーーーんな感じ!
今回はとても長くなってしまったけれど、ここまで読んでくれてありがとう。
では、また次回。