無題
なんとなく、食べとくかとカップラーメンにお湯をてきとーにいれて、3分待った。
キッチンタイマーをセットして、鳴った。
そして、食べた。
豚骨らしいのだけれど、味がよくわからない。
きっと私の意識がカップラーメンに向いていなかったからだ。
そして、また、なんとなく酒を飲まなくちゃいけないと、思った。
冷蔵庫で随分前から冷やされていた缶ビールなのか発泡酒なのかよくわからないまま、飲んだ。
何か違った。
たぶん、そういう気分じゃなかったのかもしれない。
ただ、テレビの音を流しながら、人恋しさを紛らわしながら、寂しさを殺した。
そうだ、私は寂しいと感じているのだ。
酒の味もカップラーメンの味も、なんだかわからないほどに、私は寂しさと虚しさとまぶたが重いのは、塩分と酒のせいだと、何かのせいにしたかった。
何かのせいに。
例えば、人のせい、とか、自分の病気のせい、とか。
自分が今まで、生きてきた中ですべてを、いや、すべてというのは大きな言葉すぎるな、少なからず、ほとんどのことを自分のせいにして生きてきた。
無意識の中で。
無意識が私の中で、目覚めた時、それは私の意識となった。
自覚した。
不意に、自覚した。
両親の仲が悪いのは、私が金のかかる子だから、とか。
親が、私のことを他所で悪く言うのは、私が出来損ないだから、とか。
私が、できすぎると良くないから、ちょっとできるくらいに、留めておこう、とか。
そんな無意識が、目覚めた。
無意識のうちにしていたことが、はっきりと自我を持った。
それが、私ともう一人の私となった。
どちらが表になって裏になっているのか、傍から見ても、自分から見ても、境目が曖昧なくらい入り乱れていた。
ちょっと前に、もう一人の自分のコントロールをできるようにしなさい、と、祖母に言われたことがあった。
しかしながら、どんなに頑張っても、私が不安定になっている時に、ソイツは表に出て「私は悪くない」と、「お前たちがそんなんだから私が苦労するんじゃないか」と。
一人称を変えてほしいくらいだ。
ソイツが表に出ている時は、私の記憶はふわふわとしていて、自分自身がどんなことを喋っているのか曖昧だ。
私は、いわゆる二重人格のなりかけをしているのだろうか。
それとも、私自身のキャパオーバーが起きてしまって、もう一人の自分という、攻撃的な自分を作ることで私自身を守ろうと、脳みそが勝手に制御しているのだろうか。
私は悪くない、悪いのは環境のせいだ。
子どもであれば、そう言ってもよかったのかもしれない。
しかし、私は23歳だ。
今更。
今更。
全部今更。
もう、私は独りでは立っていられないほどに、「私のせいだから、ごめんね」って言い過ぎて、思い過ぎて、私は私の人生を終わらせていたのかもしれない。
肉体は器でしかない。
肉体が生きている限り、そこに上書き保存のように私という軸を素に、新しい私ができてしまっても仕方がないのかもしれない。
今更。
今更、親が私のことを大事にしようと、することに腹が立つ。
腹が立って仕方がない。
何かのせいにしたっていいじゃないか。
病気のせいにしたっていいじゃないか。
そういう物のせいに、する生き方は好きじゃない、とか。
私の過ごした幼い日々を、すべてを自分のせいにしてきた日々を、知らないくせに。
知ったような口をきく奴に腹が立つ。
私だって、何かのせいになんてしたくはない。
でも、そうじゃないと無理なんだ。
もう、私自体は終わりに終わってしまっている。
そんな、事を言わないでよ。
私だって、人間なんだもの。
私は、人間でひとりの人なのに。
誰も、私を、人間扱いしてくれなかった。
人間なのに、人間じゃない。
ちょっとくらい、人間扱いにしてくれたっていいじゃない。
人間らしく振る舞おうとすると、不備が生じる。
どうして?