4回目の通院、そして薬が変わった。
病院を変えてから、4回目の通院だ。
前回、アカシジアを止める薬を出してもらっていたが…
結局のところ身体のソワソワ感は出てきてしまっていた。
そこで、「やっぱりソワソワするんです」と相談。
最初は漢方薬を勧められた。
しかし、私は漢方薬がとても苦手だ。
飲めても太田胃散くらい。
そして、しぶしぶ…先生がしぶしぶ勧めてきたのは躁うつにも効くという抗てんかん薬だ。
カルバマゼピン錠という薬。
妊娠の可能性のある女性には出したくはない薬らしい。
なぜか。
調べてみたところ、二分脊椎等の胎児への影響があるらしいからだ。
ソワソワもせず、躁うつにも効くならと…妊娠の予定もない私は
「それでお願いします」
と言ってしまった。
服用して1日。
薬の効果なのか身体がやけに重い。のしかかられているかのように。
ご飯を食べれば、吐き戻す。
めまいのような、物が二重に見える。
最悪だ…
立っているのも辛い。
ソワソワ感ははたしてエビリファイだけの影響だったのだろうか、と今になって考えてしまう。
エビリファイのほうがお利口さんだったんじゃないか?
頭の中をそこそこ鎮めてくれるわけだし。
もう横になっているしかない。
だって目を開けているのも辛いんだから。
辛すぎて、誰かに見てもらいたくて、今頑張ってブログを書いているわけだけれど。
これから、薬局に電話してどうしたらいいのか聞いてみる。
では、また。
明日、精神障害者保健福祉手帳の申請をする。
手帳の申請と一緒に、自立支援の手帳の申請もしてくるつもりだ。
私は胸がいっぱいなのだ。
何故か。
それは何故なのか。
私が、苦しんでいた自分が認められるような、気持ちなのだ。
5,6年苦しみもがき続けていた時間が、その時間を隠し通していた自分のその苦労が認められるような、認知される、そのことが嬉しくて仕方がない。
救いのない世界で私を救ってくれたのはODした時に見た、女神様ただひとり。
だから、私は不安に思う。
もし、申請が下りなかったら。
自分でも思ってしまうのだ。
今の自分よりも、苦しんでいる精神疾患の人がいて、私は手帳をもらうに値しないんじゃないかと。
周りからみれば、今の私はそこそこ元気そうに見えるかもしれない。
かもしれない、なんて。
自分をうまくコントロールできず、風呂にも入れず、自分の中の激しい感情をもつもうひとりの自分と戦いながら生きている私が。電車にもひとりで乗れない私が。
元気そうに見えているんじゃないか、と。
実は、元気なんじゃないかと。
思われていたりするんじゃないかと。
もっと、私よりも苦しんでいてどうしようもない人がいるかもしれないのに私なんかが手帳の申請をしてしまってもいいのか、と。
思ってしまう。
明らかに、私の生活は普通じゃないし、まともじゃないのに。
この記事を書きながら涙が止まらない。
申請がおりないと、私の人生の青春のほぼ半分以上の苦しみを無かったことにされてしまう。
次は本当に、Amazonなんかで練炭をポチらなくちゃいけなくなる。
申請にかかる期間は、約3か月。
楽しみだね。
では、また。
2回目、そして3回目の通院とエビリファイ。
先日、病院を変えてから3回目の通院が終わりました。
結果からいえば、アカシジアを止めるためのお薬を処方してもらいました!
2回目の通院のこともブログに書こうと思ったいたのですが、うつ期がきていた関係もあり、書く気力が沸かず書くことができませんでした。
なので、まず2回目の通院から。
ずいぶんと前のブログに、
朝夕食後一回一錠だと、ソワソワ感、つまりアカシジアが出てしまうということを書きました。
それらを、担当の先生にお話しして、半錠での処方に変えてもらいました。
しかし、半錠でもアカシジアは出てしまったのでした。
ソワソワ、ソワソワ
じっとしていられず、たばこをバカスカバカスカ。
3回目の通院までが、軽めの地獄のようでした。
そして、3回目の通院。
先生に、半錠でもアカシジアが出てしまいます、と伝えた。
アカシジアのせいでイライラが止まらず、仕方がなかったのだ。
胸のあたりのソワソワ感、手足のソワソワ感。
何かするといっても集中力が続かず、たばこを吸いすぎる…
それらを話したら、アカシジアを止める為のお薬を出してもらえた。
他にも、バイト中に人を気持ち悪く感じたり、どうしようもなくなってしまった時の為用のお守り的なお薬も出してもられた。
そして、その日の夕食後にエビリファイとソワソワ止めを飲んでから、3か月ぶりくらの美容院に行った。
なんの問題もなく、座っていられる!!
感動。
プラセボかもしれない。
それでも、じっと座っていられたことに驚いた。
エビリファイは、アカシジアが出てしまうこと以外は私の抱えている問題に効果があると思える。
レキサルティよりは、効果を感じる気がする。
それか、今はアレもこれもと薬を服用していないからかもしれないが。
3回目の通院では、精神障害者手帳を申請するための書類も貰ってきた。
そのことについては、次の記事で書こうと思っている。
では、また。
みんなのきしねんりょっ
ひらがなタイトルで雰囲気可愛くしてみました。
こんにちは、はぐきちゃんです。
皆さんは、希死念慮ってありますか?
私の希死念慮のイメージは、「死にたい」と思っていること、なのです。
が、私が抱いている希死念慮は希死念慮ではないのかな?と思ったり…
なので、私の場合の話をしたいと思います。
私の場合。
「死んでくれ」
「殺してくれ」
「消えてくれ」
この3つ。
自分に対して「お前なんか早く死んでくれ」と、思っていることを自分の中で希死念慮と呼んでいる。
これは、希死念慮と言っていいのだろうか。
自分への恨みつらみetc…の感情で自分に向けて他人に向けて言うように「死んでくれ」と思う。
そして、これは発作的に起こるのかというとそうでもなくて、常に自分の中にあってそれが強くなったり弱くなったりしている。
これは希死念慮ではなく、自分が解離しているだけなのか…
しかし、私は多重人格、というわけではない。
別の人格、というか、何か、みたいな存在が自分の中に存在している気配はずっとしているが…
たいてい、希死念慮といえば「死にたい」と思うことが一般的っていうのもおかしいが、それが普通だと思われている。
それだからなのか、前に通っていた精神科の先生には「死にたくなったらパラパラ踊ればいい」とか言われ、「は?」となった。
まぁ。死にたいと思ったら、他のことして気を紛らわせ、みたいな話なんだろうけど。
自分への恨みやら気持ち悪いという感情を自分で自分に向けている人間にする適切なアドバイスではないよな…
とはいえ、病院に通ってまで他人の考えを汲み取ってこちらが考える必要もないよな、と思って、うつが酷くなって通えなくなったのも重なって、そこの病院には行かなくなってしまったのだが。
自分の中に希死念慮が渦巻いている人たちは、みんなどんな感じなのでしょうか。
こんかいは、なんとも言えない内容でとっても散った文になってしまって申し訳ない。
が、みんなの希死念慮がどういう系なのか気になったので教えてくれたりすると嬉しいというか、そういう人もいるんだ、同じ人もいるんだ、と励みになる。
では、また。
うつがくるっ!!
暑いですね。
暑いです。
クソ暑い昼間に聞くラジオは良いですね。
風情があります。
なんだか夕立の気配までしてきそうだ。
空の様子と空気の湿ったニオイ。
カラスたちがせわしなく鳴き始める。
そんな感じで、私はうつの気配を感じている。
躁状態のスピード感は失速。
このまま止まってしまったら、もう走り出すどころか歩き出すこともできなくなるんじゃないか、という恐怖感、不安感をモヤモヤと感じる。
すべてのスピード感が狂う。
すべてが同じように失速していってはくれない。
だから、狂う。
日常生活。
食事や風呂。ADLが今までと同じようにいかなくなる。
食べ過ぎたり、食べられなかったり。
立ち止まったら怖いという思いから、無理して毎日お風呂に入ったり。
そして、問題が出やすいのが睡眠。
夜は2時間まとまった睡眠がとれればいいほう。
何回も起きる。
そして、昼間にとてつもない眠気がやってくる。
だからといって昼寝をすれど、眠りが浅く体のダルさが酷くなるだけ。
面白いくらい日常生活が狂い始める。
そして、感情も。
常にギリギリライン。
薬を飲んでいても耐えきれなくなって爆発。爆発というよりも暴発に近い。
真夏の車に放置した缶ジュース並みの勢いで爆発する。
何もかもが狂う。
うまくいかなくなる。
そうやって、そういう経緯をふんでうつ状態に入っていく。
どう抗っても、やってきてしまうのでこちらからは手も足も出ない。
ただ受け入れるしかない…のか?
皆さんは、うつがきたなぁと思った時はどんなことをしていますか?
自傷行為がやめられない!!
やめられない♪止まらない♪
かっぱえびせんじゃないのよ。
自傷行為が。
と、言ってもリスカやODじゃない。
精神的な自傷行為。
精神的な自傷行為とは…?
私もこれに気づいたのは、最近のこと。
具体的に何をするのか、といえば
・自分が嫌がることをする
・自分が後々になって傷つくことをする
・嫌な記憶を呼び起こす
等々…
自分を惨めに自分で自分を傷つけ苦しめる。
それがやめられない。
正直なところやめたい。
ODやリスカと違って精神的な自傷行為は目に見えない分、ダメージの蓄積がはかれない。
自分がどれだけダメージを負ってしまっているのかがまったくわからない。
また、カミソリも薬も必要ないのでいつでもできてしまう。それに、人目を気にすることもない。
お手軽すぎる自傷行為なのである。
この自傷行為は延々とループをする。
前に自分を苦しめようとした行動を、後になって思い出し『どうしてこんな選択をしてしまったのか』と、自分を責め続ける。
自分を責めることで、自分は最低だ、こんな奴は死ねばいい、傷つき苦しむべきだと思う。
そしてまた繰り返し。
終わりがないのだ。
リスカのように、達成感も満足感もない。
ODのように、気持ち良いこともない。
ただモヤモヤと負の感情が滞留し膨れ上がっていく…だけなのである。
これらの精神的な自傷行為の存在に気づいたのは、最近と言ったが、ODをやめてからというものなのだ。
ODをやめたら、潜在的に無意識的に行っていた自傷行為が表面化したというか…
目に見える自傷行為を断ったら、目に見えない自傷行為が増えた。
そう、増えたのだ。
ODした次の日よりも腕を切って後で痛みをかんじるよりも、辛い。
とても辛い。
こんなんだったら、脳みそガバガバになってもいいから、環境をセッティングして音の広がりが気持ちの良い音楽を聴きながらメジコンでトリップしたい。
あーーーーーーODしたい…
私みたいな奴にこそ、幻覚剤食わせて瞑想して悟りをひらかせたほうがいいんじゃないのか?
キノコやら紙やら…
と、悟りを開かせればいいって話じゃなくて
どこかしらの脳からの分泌や神経の信号が、肩こりみたいに停電が起きてしまったかのように、血流が悪くなり凝り固まったかのように、ブレーカーが落ちていくらスイッチを押しても点かなくなってしまったかのように、なっているんじゃないか。
それらを一度ほぐしてやることでうまく機能するようになるんじゃないか、って私は考えているのだけれど。
大学の授業で心理学、神経学をちょっとやったことがあるくらいじゃちーーーーーっともわからんよ。
助けて!!凄い人!!
頼ってよ、と言う人には頼るな。
タイトルまんま。
「頼ってよ」って言う人、周りにいない?
でも、助けてほしい時に助けてって頼っても助けてはくれなくない。
なーーーんて、経験したことある人いるのでは?
私は今までで、そういう事がたくさんあった。
あったなかなで、結論づけた。
ズバリ、
「頼ってよ」と言う人は助けて欲しい時に頼っても助けてはくれない。
と。
「頼ってよ」って言う人は、お節介を焼きたい時に焼いて、こちらが助けを求めた時は「今無理」と突き放し、またお節介を焼きたい時に焼いて、自分が気持ち良くなる為のツールに弱っている人を使う。
中には、本当に助けてくれる人はいるかもしれないけれど。
私が関わってきた人に偏りがあるだけかもしれないが。
だから、もう大変なド偏見かもしれない。
「頼ってよ」という人は、彼女や恋人や友達を大切にしている風な自分が大好きなだけ。
頼るな、関わるな。
弱っている時は正しい判断ができなくなるから、ちょっと難しいかもだけど。
心あたりのある人は、よくその人を観察してみてね。
どうドドドドド偏見をお送りしました。